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浦和地方裁判所 昭和63年(ワ)3号 判決

原告

都竹寿孔

右法定代理人親権者父兼原告

都竹静雄

右法定代理人親権者母兼原告

都竹真希子

右三名訴訟代理人弁護士

赤松岳

武笠正男

海老原夕美

松下祐典

被告

埼玉県

右代表者知事

畑和

右訴訟代理人弁護士

田島久嵩

右被告訴訟復代理人弁護士

佐世芳

右被告指定代理人

岡田五郎

外七名

主文

一  被告は、原告都竹寿孔に対し、金八七三六万二九六七円及び内金七九四二万二九六七円に対する昭和六三年一月一〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告都竹静雄、同都竹真希子に対し、各金二二〇万円及び内金二〇〇万円に対する昭和六三年一月一〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用はこれを五分し、その三を被告の負担とし、その余を原告らの負担とする。

五  この判決は、原告ら勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告都竹寿孔に対し、一億五二四一万五七六八円及び内金一億三八六一万五七六八円に対する昭和六三年一月一〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告は、原告都竹静雄、同都竹真希子に対し、各金五五〇万円及び各内金五〇〇万円に対する昭和六三年一月一〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

3  仮執行免脱宣言

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

原告都竹寿孔(以下「原告寿孔」という。)は、昭和五五年四月一二日原告都竹静雄(以下「原告静雄」という。)と原告都竹真希子(以下「原告真希子」という。)との間に生まれた子である。

被告は、川口市に川口保健所を設置する地方公共団体である。

2  事実経過

(一) 原告寿孔は、昭和五七年五月ころ祖父都竹守夫(以下「守夫」という。)と同居していた。同月二四日守夫は肺結核に罹患していると診断され、浦和市立病院に入院した。

(二) 川口保健所の保健婦田中雅子(以下「田中保健婦」という。)は、同年六月九日原告ら宅を訪れ、同人らに対し川口保健所で結核予防法所定のいわゆる結核の家族検診(以下「結核家族検診」という。)を受けるよう勧告した。

(三) 原告寿孔は、同年六月一四日原告真希子に連れられて川口保健所で結核家族検診を受け、ツベルクリン反応注射と胸部X線写真撮影を受けた。

(四)(1) 原告真希子は、同月一六日原告寿孔を連れて、右ツベルクリン反応注射と胸部X線写真撮影の結果を川口保健所に聞きに行ったが、右結果の判定は、N三司医師(以下「N医師」という。)が担当した。

(2) 原告寿孔のツベルクリン反応検査の結果は、自然陽転(BCG接種歴がなく、ツベルクリン反応が陽性になること)していたうえ、強陽性(発赤の直径が一〇ミリメートル以上で、硬結で二重発赤を伴うもの)でもあった。

(3) しかも、この時点で原告寿孔の胸部X線写真には、肺結核の病巣の存在が認められ、原告寿孔は肺結核に罹患していた。

(4) しかるに、N医師は、原告真希子に対し、原告寿孔の胸部X線写真の結果について、異常がない旨告げ、また、田中保健婦も、原告真希子に対し、大丈夫何も注意することはない旨告げた。

(五) そのため、原告寿孔は、通常に日常生活をしていたところ、同年一二月中旬ころから、熱を出し、同月二九日から翌年一月三日まで高梨病院、社会保険埼玉中央病院で診察、治療を受け、肺炎か肺結核の疑いがある旨の診断を受けた。さらに、原告寿孔は、同月四日急に意識を失ったため、浦和市立病院で診察を受けた結果、同病院の佐々木医師は、原告寿孔が結核性髄膜炎に罹患しており、しかも大分前から結核が進行していたものであって重篤である旨診断した。そこで、原告寿孔は、同病院に直ちに入院した。

同月一〇日、原告寿孔は、都立清瀬小児病院に転院して治療を受けた結果、一命はとりとめたものの、水頭症を併発し、右同日以降別紙記載のとおり同病院及び都立府中病院等に入通院し(入院日数の合計は六九七日である。)、結核性髄膜炎、水頭症等の治療を受けた。

(六) 右(五)の治療により、原告寿孔の結核の症状は改善したが、次の後遺症が残った。

(1) 片麻痺

原告寿孔は、右半身が麻痺しているため、自力で立ち上がることはできず、いわゆるつかまり立ちができる程度であり、歩行についても平坦なところを装具をつけて五〇〇メートル歩くのが限度で、しかも介助が必要である。跳躍、走行は不可能であり、視野も健常者より狭い。そして、これらの運動能力が改善される見込みはない。

(2) 精神薄弱

原告寿孔は、中ないし重度の精神薄弱であって、介助なしには日常生活ができないほどの状態であり、今後も改善される見込みはない。

(3) てんかん

原告寿孔は、てんかんのため、毎日二回以上のけいれん発作を起こして、意識を失ってしまう。しかも、この発作はいつ起きるか分からないので、常に介助が必要である。

(4) 水頭症

原告寿孔は、水頭症により体内にLPシャント装置(脊髄液を背中から腹腔に管を通して導出する装置)を保有しているが、右装置が順調に機能しない場合や同人が成長した場合にはそれに従ってLPシャントの入れ替えをする必要がある。

(5) 思春期早発症

原告寿孔は、ホルモンの分泌に異常を生じており、思春期早発症も併発している。

3  被告の責任

(一) 不法行為(使用者責任)

(1) 雇用関係

被告は、昭和五七年六月当時N医師を雇用し、川口保健所で結核検診に当たらせていた。

(2) N医師の過失―その一(胸部X線写真読影上の過失)

N医師は、川口保健所で結核家族検診を担当していた医師であるから、幼児(当時二歳)である原告寿孔の結核診療にあたっては、保護者に対し、十分な問診を行い、ツベルクリン反応検査、胸部X線検査等の検査を的確に実施し、その検査結果を正確に判定診断する義務があった。

しかるに、川口保健所で撮影された原告寿孔の胸部X線写真には、肺門リンパ節に白い均質陰影として結核発病の所見が写っており、原告寿孔の結核発病を発見することが可能であったにもかかわらず、N医師は右所見を見落とした。

(3) N医師の過失―その二(再検査、予防内服及び経過観察の不実施)

結核は、感染源である結核患者が大気中に放出した飛沫核を未感染者が吸うことによって感染する。この結核菌を多量に吸入すれば発病の危険が高く、また、感染者の抵抗力が弱ければ発病の危険が高い。そして、結核発病の診断は、ツベルクリン反応検査、胸部X線写真所見、患者との接触歴によるが、就学前の小児の場合、抵抗力が弱いから、BCG接種歴がないのにツベルクリン反応が陽性の場合には、たとえ胸部X線写真が無所見でも、抗結核薬イソニコチン酸ヒドラジド(INH、以下「INH」という。)等を予防投与した上、経過観察をすることが常識であった。ところで、原告寿孔は、当時二歳の幼児であったにもかかわらず、ツベルクリン反応では自然陽転で強陽性であり、しかも同居の家族が結核で入院していたのであるから、N医師は、原告寿孔の結核発病を疑い、胸部X線の再検査をしたり、INH投与等予防内服をして経過観察をするか、他の検査施設における再検査・経過観察を受けるよう指導すべき義務があった。しかるに、N医師は、右の再検査、INH等の予防投与、経過観察を実施せず、他の検査施設の再検査、経過観察を受けるよう指導することもなかった。

(4) 因果関係

結核は、早期に発見し、適切な治療を施せば治癒する病気である。したがって、前記結核家族検診において、N医師が、原告寿孔の胸部X線写真を読影する際、的確に結核発病の所見を読み取り、同人に対して直ちにINH投与等の適切な療養指導を行っていれば、同人が結核性髄膜炎に罹患することはなかった。

あるいは、N医師が、原告寿孔のツベルクリン反応検査から結核発病を疑い、胸部X線の再検査、INH投与等予防内服をして経過観察をしたり、他の検査施設で再検査・経過観察を受けるよう指導していれば、同人が結核性髄膜炎に罹患することはなかった。

(5) 以上により、被告は、民法七一五条の使用者責任として、原告らに対し後記損害を賠償すべき責任がある。

(二) 国家賠償法一条に基づく責任

N医師は、川口保健所の前記結核家族検診等を実施するため、被告に被用され、被告の公権力を行使する者であるところ、その職務を行うにつき前記(一)(2)及び(3)のとおりの過失があるので、被告は、右過失により原告らが被った後記損害を国家賠償法一条に基づき賠償する責任がある。

(三) 債務不履行責任

(1) 原告真希子は、原告寿孔の法定代理人として、昭和五七年六月一四日被告との間で、原告寿孔が結核に感染ないし発病しているか否かを診断し、その結果に応じて必要な療養指導等をなすべき旨の契約を締結した。

(2) 被告は、右契約に基づき、川口保健所において小児結核の診断について十分な能力を持った医師に結核家族検診を担当させ、右家族検診担当の医師により、ツベルクリン反応検査、胸部X線検査等の検査を的確に実施し、その検査結果を正確に判定診断し、右診断結果に応じて適切な療養指導を行い、INH投与等予防内服をして経過観察をする等の措置を行う義務があった。

(3) しかるに、N医師は、前記(一)(2)及び(3)のとおりの過失により右義務を怠ったものであるから、被告は、債務不履行に基づく損害賠償として、原告らの後記損害を賠償すべき責任がある。

4  損害

(一) 原告寿孔の損害

(1) 治療費等 合計六七一〇万四二八四円

イ 治療費 八五万六四六七円

原告寿孔は、昭和五八年一月四日から平成二年六月二八日までの間、リハビリ代、補装具代を含む治療費自己負担分として八五万六四六七円を支出した。

ロ 付添費用 六五五五万〇八一七円

昭和五八年一月四日から同六二年一二月二〇日まで(一八一一日間)

一日四〇〇〇円 計七二四万四〇〇〇円

昭和六二年一二月二一日から平成三年五月一〇日(一二三七日間)

一日五〇〇〇円 計六一八万五〇〇〇円

平成三年五月一一日から終身(六五年間)

5000円×365日×28.5599(新ホフマン係数)=5212万1817円

ハ 入院雑費 六九万七〇〇〇円

一日一〇〇〇円×六九七日=六九万七〇〇〇円

(2) 逸失利益 五一五一万一四八四円

原告寿孔は、前記結核性髄膜炎の後遺症により労働能力を一〇〇パーセント喪失したものであり、同人の逸失利益は五一五一万一四八四円である。

(計算式)

479万5300円(平成元年男子全年齢平均賃金)×1.05(ベースアップ分5パーセント加味)×(1−0.5)(生活費割合50パーセント控除)×20.4611(新ホフマン係数)=5151万1484円

(3) 慰謝料 二〇〇〇万円

原告寿孔は、前記結核性髄膜炎、水頭症及びその後遺症により入退院を繰り返し、また後遺症のため終生付添看護を必要とするようになった。これら諸般の事情に鑑み、原告寿孔の精神的苦痛これを慰謝するには、少なくとも二〇〇〇万円が相当である。

(二) 原告静雄、同真希子の損害

慰謝料 各五〇〇万円

原告寿孔が結核性髄膜炎に罹患し、前記後遺症を残す重症心身障害児の親になってしまったことによる原告静雄、同真希子の精神的苦痛は筆舌に尽くしがたく、その慰謝料額は各五〇〇万円を下らない。

(三) 弁護士費用

原告寿孔 一三八〇万円

同静雄、同真希子 各五〇万円

原告らは、本訴の提起、追行を原告代理人らに委任し、その報酬として判決認容額の一割を支払うことを約した。右弁護士費用として、原告寿孔につき一三八〇万円、同静雄、同真希子につき各五〇万円が相当である。

5  よって、原告寿孔は、被告に対し、不法行為若しくは国家賠償法一条に基づく損害賠償、又は債務不履行に基づく損害賠償として金一億五二四一万五七六八円及び内金一億三八六一万五七六八円に対する本件訴状送達日の翌日である昭和六三年一月一〇日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を、原告静雄、同真希子は、被告に対し、不法行為若しくは国家賠償法一条に基づく損害賠償、又は債務不履行に基づく損害賠償として各金五五〇万円及び各内金五〇〇万円に対する右同日から支払ずみまで年五分の割合により遅延損害金の支払をそれぞれ求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2(一)  同2(一)、(二)の各事実は認める。

(二)  同(三)の事実中、原告寿孔が同年六月一四日原告真希子に連れられて川口保健所で結核家族検診を受け、ツベルクリン反応注射を受けたことは認め、その余は否認する。同人が胸部X線撮影を受けたのは同月一六日である。すなわち、N医師は、原告寿孔のツベルクリン反応の結果が陽性であったことから胸部X線直接撮影を行ったのである。

(三)  同(四)(1)、(2)の各事実は認める。

同(3)の事実は否認する。なお、N医師は、原告寿孔の胸部X線写真を読影した結果、異常所見は認められず、同人が肺結核に罹患していないと判定したものである。

同(4)の事実は否認する。

(四)  請求原因2(五)、(六)の各事実は知らない。

3(一)  請求原因3(一)(1)の事実は認め、同(2)ないし(5)の主張は争う。

(二)  請求原因3(二)の主張は争う。

医師らの検診及びその結果報告は、医師らの一般診断行為と異ならず、公権力の行使に当たらない。

(三)  請求原因3(三)(1)ないし(3)の主張は争う。

4  請求原因4の事実は知らない。

三  被告の主張

1  請求原因3(一)(2)及び(3)(N医師の過失)について

(一) 胸部X線写真読影上の過失について

原告ら主張の胸部X線写真上の所見は、読影の難しい特殊な所見であり、これを読み取ることが出来るのは全国で二〇名足らずの専門医という程度のものであった。したがって、当時の一般医療水準に基づいた診断をすれば足りる保健所の担当医師には右所見を読影すべき義務はなく、N医師が、右所見を発見できなかったとしても同人に過失があったとはいえない。

(二)(1) 予防内服及び経過観察の不実施について

昭和五七年六月一四日川口保健所の田中保健婦が原告真希子に対し、原告寿孔の自覚症状の有無について問診を行った。問診の結果、原告寿孔には熱、咳等の結核の臨床症状は全く認められなかった。

(2) 昭和五七年六月当時の初感染結核における予防内服の基準(昭和三八年五月一日号外、厚生省告示第二一九号)は、「三才未満の者の場合であって、エックス線像に病変が認められないが、ツベルクリン反応自然陽転が明らかであり、かつ、臨床症状を呈するとき」というものであった。したがって、右の基準に合致する場合以外は、予防内服の要否は担当医師の裁量に委ねられており、義務的なものではなかった。原告寿孔の場合、X線写真に何ら異常所見がなく、熱、倦怠、咳、息切れ等の臨床症状が全く見られなかったので、N医師は、予防内服や医師による経過観察の必要がないと判断したのであり、右の処置は、右基準に合致したものであるから、同人には過失がない。

(3) N医師は、保健婦による経過観察指導を指示しており、この指示に従って田中保健婦は、原告真希子に対し、後記2のとおり注意指導を行っており、担当医に課せられた注意義務を履行している。

2  請求原因3(一)(4)(因果関係)について

田中保健婦は、昭和五七年六月一六日原告真希子に対し、風邪症状、微熱、気だるそうにする等の様子が原告寿孔に見られる場合には、自分に連絡をするか、病院に行って診察を受けるようにと注意、指導した。原告寿孔は、同年一二月中旬ころ活気がなく、同月一七日熱も出て服薬しても解熱しなかったのであるから、原告真希子は、右指導に従い、川口保健所に連絡するか、受診した医師に対し原告寿孔のツベルクリン反応検査の結果及び右注意指導を告知し、適切な診断、治療を受けるべきであった。原告真希子の対応の遅れが一因となって原告寿孔に重大な結果が発生したのである。

四  被告の主張に対する認否

1  被告の主張1(一)は争う。

2  同(二)(1)及び(3)の各事実は否認する。同(2)は争う。

3  同2の事実は否認し、その主張は争う。

第三  証拠関係〈省略〉

理由

一請求原因1(当事者)の事実は当事者間に争いがない。

二同2(事実経過)について

1  同(一)及び(二)の各事実は当事者間に争いがない。同(三)の事実中、原告寿孔が昭和五七年六月一四日原告真希子に連れられて川口保健所で結核家族検診を受け、ツベルクリン反応注射を受けたこと、同(四)(1)、(2)の各事実は当事者間に争いがない。

2  右の争いのない事実と〈書証番号略〉、証人N、同田中雅子、同雉本忠市の各証言(ただし、証人Nについては、後記信用しない部分を除く。)、原告都竹真希子の本人尋問の結果、を総合すると、次の事実がみとめられ、原告都竹真希子の供述中、右認定に反する部分は信用しない。

(一)  昭和五七年五月ころ、原告寿孔は、祖父守夫、祖母都竹春子(以下「春子」という。)、父原告静雄、母原告真希子、姉都竹悠紀子(以下「悠紀子」という。)と同居していた。そのころ、守夫は、結核に罹患し、ガフキーⅠ(結核菌)を排菌しており、同月二四日浦和市立病院に入院した。

(二)  浦和市立病院から川口保健所長に対し、右守夫が結核患者として入院した旨の届けがなされたことから、原告ら居住地区を担当していた田中保健婦が、同年六月九日原告ら宅を訪問し、原告真希子に面会し、原告ら家族に川口保健所で結核家族検診を受けるよう勧告し、原告真希子は、同寿孔、春子、悠紀子とともに同月一四日右検診を受けることを応諾した。

(三)  原告寿孔は、同月一四日同真希子、春子、悠紀子と共に川口保健所で結核家族検診を受けた。右家族検診において、田中保健婦は、保護者の原告真希子に対し、原告寿孔の既往症、現病歴について簡単な問診を行い、同人の健康相談票を作成した。また、原告寿孔は、悠紀子とともにツベルクリン注射を受けた。そして、同月一六日、原告真希子は、同寿孔、悠紀子を連れて同月一四日に行われた同人らのツベルクリン反応の結果を聞きに川口保健所へ行った。

(四)  N医師は、内科及び小児科を標榜する開業医であるが、昭和五四年以降、川口保健所において結核家族検診等に従事しており、原告寿孔の右ツベルクリン反応検査の判定を担当した。なお、同医師は、田中保健婦が作成した前記健康相談票により、原告寿孔には、発熱、盗汗、咳、息切れ等の結核の臨床症状がないことを確認し、また、浦和市立病院が守夫について届出た際に作成した同人についてのビジブルカードにより、原告寿孔の同居の祖父守夫が前記ガフキーⅠを排菌しいてることを認識していた。

そして、ツベルクリン反応の結果は、原告寿孔は、自然陽転しており、しかも、内径一七ミリメートル、外径三五ミリメートルの二重発赤で、硬結し、強陽性であった。

(五)  右の結果をみて、N医師は、原告寿孔の結核感染、発病を疑い、X線写真によってさらに診断するため、同人の胸部X線写真を撮らせた。

N医師は、同人の胸部X線写真(以下「本件写真」という。)の読影をした結果、異常所見を認めず、かつ右(四)のとおり臨床所見もなかったことから、原告寿孔は、結核には感染しているが、発病しておらず予防内服も必要ないと判断し、原告真希子に対し、同人の体には異常がなく、同人は健康体である旨告げた。

(六)  しかし、当時、本件写真には、左肺門リンパ節、左上舌部に結核発病の所見が写っていた。すなわち、本件写真は、原告寿孔の体の右側が少し前にねじれる形で撮れており、心臓の影が左にはみ出し、そのため左肺門部分が見にくいX線写真であった。このようなX線写真の場合、レントゲンの管球(光源)から離れた肺野(左)は、接近した肺野(右)より黒く写っていなければならないところ、本件写真では、左右の肺野がほとんど同じ濃さであり、心臓からはみ出した形で左肺門リンパ節の部分(肺区域S6の部位)に白い均質陰影が写っており、また、左上舌部(同S4の部位付近)にも陰影が波及して写っている。したがって、本件写真の左肺門リンパ節、左上舌部には結核の病巣が写っており、原告寿孔は、昭和五七年六月一六日本件写真を撮影した時点で既に結核に罹患していた。

(七)  原告真希子は、川口保健所の廊下で田中保健婦に対し、ツベルクリン反応が大きく出たことが心配である旨話した。そこで、田中保健婦は、再度N医師に聞きに行き、N医師が大丈夫だ、何も心配することはないと言うので原告真希子にその旨告げるとともに、原告寿孔の体調が悪く、ごろごろ寝ているとか、風邪をひきやすい、食欲がないなど変調があった場合には、自分に連絡するか、病院に相談するよう伝えた。

(八)  右家族検診後、昭和五七年一二月初旬までは原告寿孔には何の臨床症状も出なかったが、同人は同月中旬以降発熱し、風邪の症状となったため、原告真希子は、阿部小児科及び高梨病院に同人を連れて行って、診察を受け、風邪と診断された。しかし、その後も熱が下がらないので、同月二九日右高梨病院で胸部X線写真を撮ったところ、肺炎か結核の疑いがあると診断された。さらに、社会保険中央病院で診断を受けが、同旨の診断がなされ、同病院の指示どおり通院することとなった。

ところが、原告寿孔は、昭和五八年一月四日、昏睡状態に陥り、同日、浦和市立病院に入院して、小児科の佐々木医師の診断を受けることとなった。佐々木医師は、結核性髄膜炎と診断し、命の保証はできない旨告げるとともに、川口保健所から本件写真を借りてくるよう指示した。原告静雄が右写真を借りてきて佐々木医師に見せたところ、同医師は同保健所で写真を撮った段階ですでに結核の病巣があると診断した。

同月一〇日、原告寿孔は、東京都立清瀬小児病院に転院した。同病院でも結核性髄膜炎と診断され、二週間の命の保証もない旨告げられた。

(九)  その後、同人は一命はとりとめたものの、水頭症を併発し、右同日以降別紙記載のとおり右都立清瀬小児病院に入院して結核性髄膜炎の治療を受けたほか、水頭症の治療として都立府中病院に入院し、VPシャント(脳脊髄液を脳室から腹腔に導入する管)、LPシャント装置の体内設置手術を受け、その後も入、通院を繰り返している。そして、右の治療により原告寿孔の結核の症状は改善したが、次の後遺症が残り、現在までリハビリを続けている。なお、右後遺症は、障害等級二級の認定を受けている。

(1) 片麻痺

同人は、右半身が麻痺しているため、自力で立ち上がることはできず、いわゆるつかまり立ちができる程度であり、歩行についても平坦なところを装具をつけて五〇〇メートル歩くのが限度で、しかも介助が必要である。跳躍、走行は不可能であり、右手の指は全く使えず、視野も健常者より狭い。現在もリハビリを続けているが、これらの運動能力が改善される見込みはなく、今後の拘縮、変形により機能低下すら予想される。

(2) 精神薄弱

同人は平成二年一月東京都立心身障害者福祉センターで計ったところではIQ四三の中ないし重度の精神薄弱であって、介助なしには日常生活ができないほどの状態であり、今後とも改善する見込みはない。

(3) てんかん

原告寿孔は、薬で抑えても、てんかんのため毎日二回以上のけいれん発作を起こして、意識を失ってしまう。しかも、この発作はいつ起きるか分からないので、常に介助が必要である。

(4) 水頭症

原告寿孔は、水頭症により体内にLPシャント装置(脊髄液を背中から腹腔に管を通して導出する装置)を保有しているため、将来、右装置の機能が不調になった場合や同人が成長した場合には、右装置の入れ替えをする必要がある。

(5) 思春期早発症

原告寿孔は、右のとおり脳に障害を負ったため、ホルモンの分泌に異常を生じており、思春期早発症も併発している。

3  証人Nは、本件写真には結核発病の所見がない旨証言するが、証人雉本忠市の証言に照らし、これを信用することができない。

また、証人Nは、原告真希子に対し、保健婦を通じて、原告寿孔に異変があった場合、発熱や咳があったり、食欲がない等の症状があったときには、保健所や最寄りの病院で診察を受けるように伝えた旨証言するが、証人田中雅子は、N医師から右のとおり伝えるよう指示された記憶がない旨証言していることを考慮すると、右のN証人の証言はただちに信用することはできない。

三請求原因3(一)(被告の責任、不法行為)について

1  請求原因3(一)(1)(雇用関係)の事実は当事者間に争いがない。

2  同3(一)(2)(N医師の過失―その一、胸部X線写真読影上の過失)について

(一)  結核家族検診における胸部X線写真読影上の注意義務

〈書証番号略〉、証人N、同雉本忠市の各証言によると、次の事実が認められる。

(1) 結核は、結核患者の咳、痰から結核菌が大気中に排出され、未感染患者がこれを吸うことにより飛沫感染する。排菌患者の同居者など接触の機会の多い人は、濃厚な感染を受ける危険も多く、結核発生率も高い。そのため、結核予防法に基づく結核家族検診は、結核患者の結核罹患を早期に発見する目的で行われるのである。

(2) 結核家族検診の対象者には乳幼児も含まれるが、乳幼児にもっとも多い初感染結核(BCG接種歴がなく感染する結核)では、肺に結核発病の明らかなX線写真所見が認められる段階になっても全く無症状であることが多く、乳幼児の場合、発症してから治療するのでは時期を失することがある。しかも、時期を失して結核性髄膜炎に一旦罹患してしまうと、予後が悪く、死亡、後遺症が残る場合が多く、後遺症も重大なものが多い。

(3) したがって、結核家族検診に携わる医師は、排菌性結核患者と同居している乳幼児の結核発病の早期発見のため、X線写真の読影を慎重に行わなければならない。

(4) 特に、乳幼児の初感染結核の場合、X線写真所見上、肺門リンパ腺に病巣があるのが大部分であるから、BCG未接種の乳幼児について、初感染結核発症の有無を診断するためにX線写真の読影をする場合には、特に肺門リンパ腺を詳細に観察しなければならないというのが、乳幼児の結核診断における臨床医学上の一般的見解であった。

(二)  N医師の過失

N医師は、被告の結核予防医務の非常勤職員で、川口保健所の嘱託医として昭和五四年以降主に結核予防法に基づく結核家族検診に従事していた医師であり、昭和五七年六月一六日当時、原告寿孔が排菌者と同居していたこと及びツベルクリン反応が自然陽転で強陽性であることをすでに認識し(前記二2(四))、初感染結核発症の危険性があることを知ったのであるから、本件写真を読影する際には、乳幼児の初感染結核において殊に病巣が集中する肺門リンパ節付近を特に注意して結核発症の有無を診断する義務があった。そして、現に、本件写真には、原告寿孔の左肺門リンパ節、左上舌部に結核発病の所見(白い均質陰影)があったのである(前記二2(六))から、N医師がこれを見落とし、原告寿孔は結核に罹患していないものと診断したこと(前記二2(五))には、右注意義務を怠った過失があるといわなければならない。

(三)  被告の主張1(一)について

証人雉本は、本件写真上の右所見は、読影の困難な所見であり、一般の小児科医では、右所見を発見できる者は非常に少なく、小児結核の専門家であれば見落とすことはないが、右専門家は全国で二〇名足らずである旨証言する。しかし、同時に、証人雉本は、保健所の嘱託医として結核家族検診に携わり、結核発症の有無の判断を中心に胸部X腺写真の読影を行う医師は、普通は右の所見を見落とすことはない旨の証言をしていることを考慮すると、一般の小児科臨床医であっても、保健所の嘱託医として、個別的な結核家族検診における小児結核の診断を行う立場に立って、結核発症の有無を特に念頭に置くならば、本件写真上の右所見を発見することは可能であったというべきであるから、右の発見が困難であることを根拠として、N医師が右所見を発見できなかったことに過失はないとする被告の主張1(一)は採用することができない。

3  請求原因3(一)(3)(N医師の過失―その二、再検査、予防内服及び経過観察の不実施)について

(一)  結核家族検診における予防内服実施の義務

〈書証番号略〉、証人雉本忠市の証言によれば、次の事実が認められ、右認定に反する証人Nの証言は右証拠に照らし信用することができない。

(1) 厚生省が定める結核医療の基準(昭和三八年五月一日号外厚生省告示第二一九号)の第二、五、(2)ウによれば、初感染結核の化学療法について、「三歳未満の者の場合であって、エックス線像に病変が認められないが、ツベルクリン反応自然陽転が明らかであり、かつ、臨床症状を呈するとき」には、病状経過を観察しながら、INHとPAS(パラアミノサリチル酸ナトリウム)の併用療法をおおむね六ないし一二か月間行うとされていた。

(2) しかし、昭和五〇年三月以降、初感染結核症が認められる者に関し、「就学前の者で既往にBCG接種歴がなく、ツベルクリン反応が陽性の者」については、INHとPASの併用療法の適応例として、結核予防法三四条所定の公費負担医療の対象として取り扱うこととされていた(昭和五〇年三月二〇日衛結第九号、山形衛生部長宛厚生省公衆衛生局結核成人病課長回答)。右の事実は、保健婦向けのテキストである日本看護協会保健婦部会編「保健婦業務要覧」にも取り上げられ、「化学予防に関する保険指導」として、「感染をうけてしまった後の発病予防の方法として化学予防が行われる。通常、INHを毎日一回六ヵ月間の投与が行われる。昭和五〇年から適用範囲が次の者に拡大された。①未就学児でBCG接種歴がなく、ツベルクリン反応が陽性の者。…」と記載されている。

(3) 厚生省が、初感染結核の化学療法に関する前記(1)の基準を正式に改定し、中学生以下のINH投与対象者について、「既往にBCG歴がなく、塗抹陽性患者と接触が有る場合には、ツベルクリン反応発赤径の直径が一〇ミリメートル以上の者」まで適用が拡大したのは、平成元年二月二八日であった。しかし、実際には、右(2)の変更に伴い、就学前の者、特に乳幼児が、ツベルクリン反応検査の結果、自然陽転をし、二重発赤を伴う強陽性であることが判明した場合には、結核発病の危険性が高いため、結核の臨床症状が認められない段階でINHを予防内服させることが、昭和五七年当時、我が国における小児科臨床医の分野の一般的見解となっていた。

(4) なお、右のINH投与については、末梢神経炎、肝障害などの副作用があることも指摘されているが、最も副作用の少ない抗結核薬の一つとされており、小児に対する投与の場合には、肝障害の心配がないとの研究結果も発表されている。

(5)  以上によれば、結核家族検診に携わる医師としては、昭和五七年当時、結核医療の一般的水準として、乳幼児が、ツベルクリン反応検査の結果、自然陽転をし、しかも強陽性であることが判明した場合には、INHの予防内服を行うべき義務があったものというべきであるから、当時前記(1)の基準が正式に変更されていなかったからといって、右義務がなかったということはできない。

(二)  N医師の過失

N医師は、昭和五四年以降結核予防法に基づく結核家族検診に従事していた医師であり、当時満二歳の幼児であった原告寿孔が、ツベルクリン反応検査の結果、自然陽転し、しかも強陽性であることを認識したのである(前記二2(四))から、同医師は、原告寿孔に対し、INHを予防的に投与すべき義務があったというべきである。しかるに、同医師が、前記(一)(1)の基準に従って、原告寿孔に結核の臨床症状がないことを理由に予防内服の必要がないと判断したこと(前記二2(四)及び(五))は、右注意義務を怠った過失があるというべきである。

(三)  被告の主張1(二)(1)及び(2)について

前記(一)(1)の基準に従った以上、N医師の行為には過失がないとする被告の主張1(二)(1)及び(2)は、右(一)の認定によれば、理由がないことは明らかである。

4  以上によれば、原告寿孔の結核家族検診を担当したN医師には、少なくとも、本件写真読影上の過失と予防内服不実施の過失が認められる。

四請求原因3(一)(4)(因果関係)について

1  〈書証番号略〉、証人雉本忠市の証言、原告都竹真希子本人尋問の結果によれば、請求原因3(一)(4)の各事実が認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

2  被告の主張2について

田中保健婦が、昭和五七年六月一六日原告真希子に対し原告寿孔の体調が悪く、ごろごろ寝ているとか、風邪をひきやすい、食欲がないなどの変調があった場合には自分に連絡するか、病院に相談するよう伝えたことは前記二2(七)のとおりである。

しかし、原告真希子は、原告寿孔が同年一二月中旬に風邪の症状になると、直ちに小児科等に同人を連れて行ったのである(前記二2(八))から、右の田中保健婦の指導に従わなかったということはできない。そして、ほかに、原告真希子の行為が、原告寿孔の後記損害の発生、拡大の一因となったことを認めるに足る証拠はない。したがって、被告の主張2は理由がない。

3  以上によれば、被告は、不法行為に基づく損害賠償として、原告らに後記損害を賠償すべき責任がある。

五請求原因4(損害)について

1  原告寿孔の損害について

(一)  治療費 八五万六四八四円

〈書証番号略〉及び原告都竹真希子本人尋問の結果によれば、原告寿孔の前記結核性髄膜炎及びその後遺症の治療費、リハビリ代、補装具代として、昭和五八年一月四日から平成二年六月二六日までに合計一一九万五四二九円が支出され、健康保健組合、川口市医療助成制度、川口市社会福祉協議会から計三三万三六〇二円が払い戻されたこと、従って、原告寿孔の前記結核性髄膜炎及びその後遺症の治療費として八五万六八七七円が自己負担となったことが認められるが、原告寿孔は八五万六四八四円を右治療費として請求するので右請求額の限度でこれを認める。

(二)  付添費用 四四七二万五六四三円

前記二2(八)及び(九)に認定した事実と〈書証番号略〉及び原告都竹真希子本人尋問の結果を総合すると、原告寿孔は、昭和五八年一月四日に入院した以後近親者の介護を受けていること及び同人は現在まで自立して生活することができず、右状況は一生続くものであることが認められ、その生涯にわたり、第三者の付添介護が必要であると解される。そして、平成二年度簡易生命表によれば、原告寿孔は七七歳まで生存可能と推定されるから、昭和五八年一月四日から同六二年一二月二〇日(一八一二日間)までの付添費用は一日四〇〇〇円をもって相当とし、同月二一日以降終身(七七歳まで)の付添費用は一日四五〇〇円をもって相当とする(なお、本件口頭弁論終結日の翌日である平成三年八月三日から七七歳に達する年までの六六年間の分の現価は、ライプニッツ係数を用いて中間利息を控除した。)。これにより同人の付添費用を算出すると、合計四四七二万五六四三円となる。

(計算式)

昭和五八年一月四日から同六二年一二月二〇日まで

四〇〇〇円×一八一二日=七二四万八〇〇〇円

昭和六二年一二月二一日から平成三年八月二日まで

四五〇〇円×一三二〇日=五九四万円

平成三年八月三日から終身(六六年間)

4500円×365日×19.2010=3153万7643円

合計四四七二万五六四三円

(三)  入院雑費 六九万七〇〇〇円

原告寿孔は、前記二2(八)及び(九)のとおり、昭和五八年一月四日浦和市立病院に入院後、結核性髄膜炎及びその後遺症の治療のため、同病院のほか、別表記載のとおり、東京都立清瀬小児病院、都立府中病院に昭和六二年二月三日までに少なくとも六九七日間以上入院したことが認められる。したがって、右の期間の入院雑費としては一日一〇〇〇円が相当である。

(四)  逸失利益 一七一四万三八四〇円

前記二2(九)に認定したとおり、原告寿孔には結核性髄膜炎の後遺症として片麻痺、精神薄弱、てんかん、水頭症、思春期早発症が残り、これにより同人は労働能力を一〇〇パーセント喪失したことが認められる。そして、同人の就労可能年数を満一八歳から満六七歳までの四九年間とし、結核性髄膜炎の診断がされた昭和五八年度賃金センサス第一巻第一表の産業計、男子労働者学歴計の平均年収(三九二万三三〇〇円)を基準とし、生活費割合は五〇パーセントとし、中間利息控除はライプニッツ係数を用いて逸失利益の現価を計算すると一七一四万三八四〇円となる。

(計算式)

392万3300円×(1−0.5)×8.7395=1714万3840円

(五)  慰謝料 一六〇〇万円

原告寿孔の前記症状の態様及びその回復の見込みがないこと、N医師の過失の態様等諸般の事情を総合すると、同人の受けた精神的苦痛は甚大であって、これに対する慰謝料は一六〇〇万円が相当である。

(六)  弁護士費用 七九四万円

弁論の全趣旨によると、原告寿孔は、法定代理人である原告静雄、同真希子を介して、本訴の提起、追行を委任して報酬の支払を約したことが認められるところ、本件事案の性質、難易度、審理経過などを考慮すると、原告寿孔の損害となるべき弁護士費用は七九四万円をもって相当と認める。

2  原告静雄、同真希子の損害について

(一)  慰謝料 各二〇〇万円

原告静雄、同真希子が同寿孔の両親であることは当事者間に争いがない。前記認定のとおり、原告寿孔は、一生回復の見込みのない右半身麻痺、精神薄弱、てんかん等の障害を負い、常に第三者の介助を要し独力では生涯を送ることができなくなったものであり、これにより原告静雄、同真希子が両親として受けた精神的苦痛は、子の死に比肩すべきものということができるから、これを慰謝するために必要な金額としては右両名について各二〇〇万円が相当である。

(二)  弁護士費用

弁論の全趣旨によると、原告静雄、同真希子は、本訴の提起、追行を委任して報酬の支払を約したことが認められるところ、本件事案の性質、難易度、審理経過等を考慮すると、両名の損害となるべき弁護士費用相当額は各二〇万円をもって相当と認める。

六結論

以上の次第であるから、被告は本件不法行為に基づく損害賠償として、原告寿孔に対し、金八七三六万二九六七円及び内金七九四二万二九六七円に対する本件不法行為発生後で本件訴状送達日の翌日であることが本件記録上明らかな昭和六三年一月一〇日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を、原告静雄、同真希子に対し、各金二二〇万円及び各内金二〇〇万円に対する右同日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を各支払う義務がある。

よって、原告寿孔、同静雄、同真希子の各本訴請求は、それぞれ右認定の限度で理由があるからその限度で認容し、その余はいずれも失当であるからこれらを棄却することとし、訴訟費用の負担について、民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言について同法一九六条一項を各適用して、仮執行免脱宣言の申立についてはその必要がないものと認めこれを却下するものとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官塩谷雄 裁判官都築政則 裁判官田中千絵)

(別紙)

58.1.10 都立清瀬小児病院 同病院に転院する。原告寿孔は、意識が全くなかった。同病院による結核性髄膜炎の治療が懸命に続けられた。

(都立府中病院) 原告寿孔は、結核性髄膜炎により水頭症を併発したため、VPシャント手術・改善手術を、次のとおり、都立府中病院に一時的に転院して受けた。

①58.1.27〜2.7②58.8.29〜9.1③59.3.27〜3.29④59.9.8〜9.10

59.9.29 清瀬小児病院 結核の症状が改善されてきたため、同病院を退院し、その後通院する。

国立武蔵療養所 右半身麻痺の改善治療(リハビリ治療)のため通院する。

59.10.22〜10.30 府中病院 VPシャント手術のため入院する。

清瀬小児病院、武蔵療養所にそれぞれ通院する。

59.11.28〜12.7 清瀬小児病院体内にシャント管を留置しているため細菌性髄膜炎を併発し、入院する。

59.12.7〜12.19 府中病院 同病院に転院し、LPシャント手術を受け、同月一九日に退院する。

清瀬小児病院、府中病院、武蔵療養所にそれぞれ通院する。

60.4.6〜4.8 浦和市立病院同病院に転院するも府中病院への転院措置がとられた。

60.4.8〜4.16 府中病院 LPシャント改善手術のため入院。

清瀬小児病院、武蔵療養所にそれぞれ通院する。

60.6.28〜7.2 清瀬小児病院気管支の発育に異常所見の疑いがあり、検査のため入院する。

60.7.28〜62.1.7 清瀬小児病院 月一回の割合で通院する。

60.4.23〜61.10.16 大宮市心身障害総合センター(ひまわり学園)週三回の割合で保育、リハビリのために通園する。

61.11.14〜63.8.5 月二回の割合でリハビリのために通園する。

60.9.5〜61.11.15 武蔵療養所 月二回の割合で通園する。

61.1.27〜63.1.6 都立心身障害児総合医療センター(整肢療護園)月二回の割合でリハビリのため通園する。

62.1.22〜2.3 清瀬小児病院けいれん・発作が日に数回起きる症状が続いたため、入院して治療を受けた。

その後は清瀬小児病院に通院、途中から府中病院に転院し、けいれんの経過観察・治療、思春期早発症等治療のため現在まで毎月一回の割合で通院している。

なお、昭和63.7.1〜平1.3.31 慶応大学病院 リハビリのため通院する。

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